フィリップ先生こんにちは
私たちは先生に英語を教えていただいて本当に感謝しています。先生は私たちに英語だけではなくいろいろなことを教えてくれました。カナダのこと、音楽や映画 写真の撮り方、世界のことや神様のこと、それと先生ご自身のことも・・・ そんな先生がカナダに帰ってしまうのはとてもさびしいです。
ところで、私たちの中には先生ご自身のことをあまりよく知らない人もいることに気がつきました。そこで先生にいろいろ質問しますから 教えてくださいね。
Q.1 先生はどこの国の人ですか?
A. 私はカナダのオタワで生まれました。フランス系カナダ人で4人兄弟の末っ子です。
Q.2 日本には、どれくらいいたのですか?
A. 私は1958年の9月に日本に来ました。24歳のときでした。すぐに日本語の勉強を始めましたが,最初は鹿児島のラ・サール高校の近くに住んでいた老婦人が先生でした。(鹿児島には 6ヶ月いました。) この方は全然英語が話せなかったけど,私はどうにか日本語がわかるようになりました。それから東京の渋谷にある日本語学校で2年間勉強しました。今年で47年目になります。
Q.3 兄弟は何人ですか?
A. 4人で一番下です。一番上はお姉さんです。 私は1933年10月20日に生まれました。いつもは10月に雪なんか降らないのですが、私が生まれたその日は大雪だったそうです。だから 私は冬が大好きなのかな・・・
Q.4 先生の家族のことを教えてください。
A. 私のお母さんは結婚前は小学校の先生でした。それで子供3人は先生になったのかな。 私のお父さんは印刷所で働いて、ライノタイプという機械を動かしていました。 コンピューターが発明されるずっと前のことです。 ライノタイプというのは,文字を並べて印刷の原版を作る機械ですが,もう今はどこにもありません。 私が写真を撮って冊子にまとめたりするのが好きなのは お父さん譲りかな。
Q.5 先生、小さい時は英語が話せなかったというのは本当ですか?
A. そうですよ。私たち家族はフランス語を話していました。私が3歳か4歳のとき,お母さんが仕事をすることになって私は保育園にいきました。でも私は英語が話せなかったので、他の子供たちと遊ぶこともできず泣いてばかりいました。その後、小学校の低学年から英語を勉強し始めましたが,なかなか上手になりませんでした。修道士になりたての1951年から1952年までの1年間、トロントで英語だけの生活をしてようやく上手に話せるようになりました。
Q. 6 どうして日本に来ることになったのですか?
A. 若い頃、ラ・サール会の修道士としてどこの国にでも宣教に行きますと申し込みました。それから7年後の1958年に、日本に行ってほしいといわれました。 私は喜んで行きます!と返事をしましたが,家族や友達がいるカナダを離れることを思うと寂しくて、涙が出ました。
Q.7 日本に来てどこに住んだのですか? 順番に教えてください。
もうすぐカナダに帰りますが,私の人生の3分の2を過ごした日本には、たくさんの思い出とたくさんの友人がいます。その第二の母国ともいうべき日本を離れることを思うと、きっとまた悲しくなるでしょう。A. 最初は鹿児島で半年いました。鹿児島ラ・サール高校で教えながら日本語を勉強しました。 それから2年間は 東京で日本語学校に通いました。その後また鹿児島に戻り,中学校と高校で8年間英語と宗教を教えました。
1968年から1970年までの2年間は,もっと宗教学を学ぶために,カナダとヨーロッパで過ごしました。1970年に日本に戻り,それから25年間は東京で日本のラ・サール会の責任者として働きました。そこで教え子達と再会したり八ヶ岳の山の家などに出かけたりして、たくさん友達ができました。1995年には,函館ラ・サール高校にいきましたが,ローマに行く修道士の代わりだったので、そこは短期間でした。
そして1997年に仙台に来ました。あとはご存知のとおり、お母さんたちの依頼で地域の小学生に英語を教えることになりました。 ナザレト幼稚園の子供たちに英語を教えたことも楽しかったです。Q.8 日本の印象はどうでしたか?
A. 楽しかった。何もかもが新しいことばかりで,毎日楽しい発見がありました。まわりの人たちもみんな親切でいろいろお世話になりました。
Q. 9 それぞれの町で、特に印象的なことや思い出などを聞かせてください。
A. 今までのことを話したら 終わらないですよ。 それぞれの場所で楽しく過ごしました。カナダの友人に 日本人について聞かれたとき,私はいつも いろいろなカナダ人がいるのと同じで,いろいろな日本人がいるよと答えています。みんなそれぞれに個性があるのです。気持ちを前向きにもっていれば、どこででも誰とでもいい関係ができると思います。
Q.10 日本の好きなところは?
A. 日本の全部が好きですが,一番は人かな。教え子たち,たくさんの知り合い,そして友人たち。 買い物に行っても親切にしてもらいますよ。 たとえば,セラビでおいしい料理を紹介している人とは よくおしゃべりします。彼女には,東北の山について いろいろおしえてもらいました。 いつも元気なひとです。私は日本の景色や山々が好きです。歩きながら 写真を撮ったり,冬にはスキーをしたり。日本の温泉や和食も大好きです。どちらもカナダにはないから,さびしくなりますね、
Q.11 今度はカナダについて教えてください。
A. 私は47年間もカナダを離れていて,時々休暇に帰る程度だったので、今のカナダは私の知っていた頃とは違っているでしょう。カナダの生活にもどるまで時間がかかりそうです。もう一度自分の国を見直す必要もあるでしょう。ここではカナダについて書ききれません。むしろインターネットで調べたほうが簡単かも。間違いなく言えるのは とても大きい国だということです。東と西では 全然ちがいます。私は東部出身ですが 英語とフランス語が話されています。どうぞ カナダにいらしてください。よろこんで、ご案内しますよ。
Q.12 もし生まれ変わることができるなら,今度はどうしますか?
A. これはあくまでも空想ですが,私は日本人で素敵な日本人の奥さんと静かな田舎に住んで、私たちは英語を勉強している。子供たちはカナダにホームステイしていて、そのうちカナダ人と結婚する・・・なんてね
Q.13 カナダに帰ったら何をしたいですか?
A.うーん どうしよう? まだ何も決めていないけど,まずはカナダ人にもどりましょう。昔からの友人に会ったり,新しい友達も作りたいな。71歳だけど,また学校に行きたいですね。兄弟のそばにいたいからです。私が一番若いし,健康だから,姉たちが年をとったときにお世話したいと思います。
Q.14 英語を学ぶときに大切なものは何ですか?
A. 英語に限らず、何かを学ぶために大切なのは,モチベーション(動機付け)、自分の気持ちをそこへもっていくことと、辛抱強く続けることです。それは時間がかかります。でもあとにはきっと、喜びと満足感が得られるでしょう。
Q.15 最後に私たちに一言お願いします。
A. やめないで、決して途中でやめないでください。続けて、ぜひ続けてください。すらすらと英語が話せるようになるまで,英語の本が楽しく読めるようになるまで,英語で自分の考えを書けるようになるまで,ぜひ勉強を続けてください。時間がかかるでしょうが皆さんはまだ若いのです。
他の国の言葉を学ぶことは,その文化に触れることです。終わりはありません。卒業もありません。もっともっと学ぶことができます。 ある程度まで英語ができるようになったら,三番目,四番目の外国語にも挑戦してみてください。何ヶ国語でもマスターできます。制限はありません。他の国の言葉で話ができて,その国の人や文化にふれることができたら,本当にうれしいものです。言葉によって,たくさんのドアが開きます。もしできるのなら,世界中を旅して,ぜひたくさんの友達を作ってください。
Open your mind and your heart, never stop learning.
どうもありがとうございました。私たちは今まで以上に先生を知ることができました。
先生からのメッセージはいつまでも心に残って、英語を学ぶときに私たちを励ましてくれると思います。
いつかきっと、日本かカナダでまたお会いしましょう!